長 崎
2004

9月11日12日


●9月11日
羽田―〔ANA663〕―長崎空港―長崎市街―つる茶ん―崇福寺
―興福寺―眼鏡橋―野口彌太郎美術館―旧香港上海銀行―
グラバー園―稲佐山夜景―長崎全日空H(泊)

●9月12日
長崎港―〔軍艦島クルーズ船〕―長崎港―日本二十六聖人記念館
―長崎空港―〔ANA668〕―羽田
崇福寺
寛永6年(1629年)に中国福建省の帰化商人が
明の僧超然を招いて立てた唐寺
国宝の第一峰門、大雄宝殿などが建っている
国宝の第一峰門
興福寺
元和6年(1620年)に
中国の僧 真円が建立した日本初の唐寺
眼鏡橋
野口彌太郎美術館
旧香港上海銀行 長崎支店
明治37年に香港上海銀行長崎支店として建造された
大浦天主堂
グラバー園からの眺め
グラバー園
旧三菱第二ドッグハウス
グラバー園
旧三菱第二ドッグハウスのテラスからの眺め
旧グラバー邸
グラバー園からの眺め
稲佐山からの長崎夜景
軍艦島クルーズ船
「マルベージャ号」
出航です
港から市街を眺める
長崎港に架かる建設中の女神大橋
斜張橋です
伊王島の沖ノ島天主堂が見えてきました
軍艦島(端島)が見えてきました
「軍艦島」は正確には端島の俗称
戦艦「土佐」に島影が似ていることから名付けられたという。
明治23年、三菱が島全体と鉱区の権利を買い取り
本格的海底炭坑として操業が開始。
明治期には中央の岩盤上に3〜4階建ての木造住宅が数棟あり、
東部平坦地には作業場、西部平坦地には住宅及び公共施設、
小中学校(7階建)、共同販売所、映画館、料理屋、娯楽場、
病院などがありました。
日本初の鉄筋コンクリート造高層集合住宅である30号棟が
大正5年に建築され、日本近代建築史上特筆に値する
重要な文化的遺構であると言われています。 
1974年1月15日に閉山
最盛期には5,200人の人口で
当時の東京人口密度の9倍とも言われた。
世界遺産に登録しようという動きもあるようだ
まさに軍艦の容姿